栃木の名所:十二御前の悲しい歴史

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見ている人は多いけれど名前を知っている人は少ないですね

矢板市と那須塩原市の境を流れる箒川の南岸の高台です

国道4号と箒川の交差するところに有るので、見たことがある人は多いと思います

今回ちょっと調べて行ってきました

戦国時代にここで12人の女性が自害したんですね

当地は南北に細長い小さな山であり、昔は「花見どや」と呼ばれ、山田を支配する山田城の城主や家来たちが、春に花見、秋には紅葉狩りや宴を催した景色が良い場所であった。

しかし、天正13年(1585年)3月25日に薄葉ヶ原の戦いが勃発すると、山田城は落城、山田一族は滅亡し、時の城主山田辰業の正室であった菊の前と11人の侍女たちは、この山までやってきて、太鼓岩と呼ばれる崖の上から、下を流れる箒川目掛けて、投身して自害し、その後、この場所は十二御前と呼ばれるようになった。 (ウィキペディアから)

ここの高台が十二御前です

今はスギ林でどこから入れるのかまだ分かりません

でもこの崖はオオタカやチョウゲンボウの営巣地にもなっているそうです

箒川の北側の田んぼからは川を渡らないといけませんが、全貌が見られますよ

西に高原山、そして大佐飛山山塊が素敵に見えます

今度は十二御前の下の河原に入れる道を探しますね

帰り道こんな石碑がありました

「為汽車顛横死諸落亡霊菩提」の碑 とあります

明治32年にここで列車が転落して多くの犠牲者が出たんだそうです。

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