上阿久津を中心に上河内東部の神社を巡りました
こちらでは、神社に対する人々の思いを感じ取ることができました。
場所はこの辺りです
船玉神社周辺が上阿久津、八瀧神社周辺が上河内です
最初は上河内地区内です
毘沙門天が祀られている毘沙門堂です。
こちらには、由緒が書いてあります。
これによると勝道上人が日光を開山した時に建立した毘沙門天が川に流されてこの地にたどり着いたとあります。
鬼怒川にはそのような流れ着いた仏さまを祀るお堂が結構あるようです。
こちらが毘沙門堂の正面、立派な額が掲げられています。
中にはこちらも立派な厨子ですね。
この中に毘沙門天が祀ってあるのでしょう。
こちらにはたくさんの石仏や石碑がありました。
夜塔や庚申塔石仏など多彩です。
もちろん読めないものもたくさんあります。
次に南下して八龍神社です。
ここに面白いものが二つありました。
一つは旧東北本線跡地の看板です。
岡本大橋の鉄橋を渡る以前は、こちらを通っていたとは知りませんでした。
その右手には昔の道標です。
読めませんが、氏家、小倉、白澤などの文字が書いてあるようです。
ここに八龍神社があります。
イチョウがきれいですね。
素敵な階段の上に神社があります。
昭和38年に創立五百年の記念でこんな風に石段が組まれてのでしょうか。
さらにたくさんのお社がありました。
下の方には石碑ですね・・・
何のものかは分かりませんでした。
立派な石段のある神社でした。
八瀧神社はほかにも全国にいくつかあります。
そちらとは何らかの関連があるのでしょうね。
次は田んぼの中の高尾神社です。
拝殿の内部はきれいになっています。
例大祭が毎年行われているようですね。
不思議な形の石をくりぬいた祠がありました。
ここから東に八坂神社です、でもその北になんか林があります。
お社が祀られています。
何の神様なのかは分かりませんでした。
でも、元はこうやってたくさんのお社があったのかもしれませんね。
そしてその南に八坂神社です。
モミジの木の紅葉が素敵でした。
夜塔と石碑がいくつかあります。
夜塔のほかに、小さな石塔もありました。
三日月夜塔というのは珍しいですね。
ここから阿久津大橋の方行くと神社が小まめにあります。
まずは船玉神社です。
こちらは鬼怒川の船着き場であたことから船玉神社となったようですね。
ここのように、船着き場に建てられた神社は船玉神社と名前が付けられているものがあるようですね。
熊野古道や茨城県、などにもあるようです。
船の形の境内なのが特徴です。
拝殿の隣には金毘羅神社がありました。
拝殿の中の厨子も立派です。
このあたりの神社で驚いたのは道標と由緒が書いてあることです。
古い道標は木でできています。
新し道標は金属です。
この辺りの人々の神社に対する思いが手に取って分かるようです。
新しくできた看板も立派でした。
この奥に浮島地蔵がありました。
立派な拝殿です。
中にはお地蔵様ですね。
こちらも鬼怒川に流れ着いた石のお地蔵さんを祀ったとあります。
こちらは、子授け、安産、子育てと女性に関する深い信仰のようです。
ここから旧四号の方へ行くと、高尾神社、正一稲荷神社、与作稲荷神社があります。
一番北に高尾神社です。
高台の眺めのいい場所にお社があります。
階段の上ですね。
拝殿の右にはわき道があり、たくさんのお社が祀られていました。
正面にあるのは大日堂です。
右側は切れに並べられた織る塔や石碑の数々です
鬼怒川の高台に改めて設置されたようですね。
平成25年にこの地に移されたとの記載です。
こういうものがあるのは分かりやすくてありがたいですね。
高尾神社は水神信仰です。
農耕や河岸など水のかかわりの深い神様なんですね。
多くのお社は名前が付けられていました。
愛宕神社、月山神社、八幡神社、湯殿神社などの記載が残っていました。
蚕影神社というのはここで初めて見ました。
こちらは茨城県にあるものが総本社のようですね。
石段の上に八坂神社です。
脇にはこんな小さなお社もあります。
最後は与作稲荷神社です。
立派なお稲荷様ですね。
こちらも鬼怒川の船着き場が賑わっていたころに祀られたんですね。
立派な額縁もあります。
脇には塩釜地蔵が祀ってありました。
今回この地域の神社を回り、上阿久津文化財保存会の働きが素晴らしいことが分かりました。
看板や道標の設置など文化財を後世に伝え残そうとしているのですね。