上神主・茂原官衙遺跡は宇都宮市と上三川町の境にある郡衙の跡です。
北関東自動車道に沿った場所に位置しています。
埋め戻されているので、今は広い草原です。
北関東自動車道の北側の側道に看板が出ています。
小さいので見逃さないように注意してください。
角にお墓があります。
その前に車が一台止められます・・・
北関東道の下のトンネルを抜けると目の前が遺跡広場です。
こちらの看板で学習してから歩きましょう。
天平の頃の河内郡を統治していた役所の跡なんですね。
かなり広いので、当時はかなりにぎわっていたのでしょうね。
不思議なのは、こちらも同じなんですが遺跡の周りには今は民家が少ないんですね。
こちらの遺跡も林の中の草原なんです。
この辺りがメインの政庁跡です。
この段差のある土地の下にあるんですね。
こういった遺跡は雨風に触れると風化してしまうので、調査したら埋め戻すのが一般です。
正倉跡や南側区画溝などの説明板があります。
さらに南に行くと古墳がいくつかありました。
近隣の古墳
近隣にはたくさんの古墳があります。
この辺りは古墳時代から要所であったんですね。
こちらが古墳です。
古墳の丘には神社が設置してあるところが多いですね。
こちらにも山の神浅間神社がありました。
この古墳の脇に東山道の跡があるようです。
地図には書いてあるのですが、どこが東山道跡なのかは分かりませんでした。
古墳の上には神社があります。
ここに限らず古墳には神社があることが多いですね。
こちらは上神主浅間神社古墳と言われています。
茂原古墳群の中では大きめの古墳ですね。
周りには小さな古墳が多数存在しています。
しばらく南に歩くと南側入り口の看板があります。
道路の向かいに古墳群がありました。
後志部古墳群です
この古墳群は田川左岸の神主台地にある神主古墳群の第三支群で、後志部古墳(前方後円墳)とその周辺に5つの円墳と湮滅した(形のなくなった)3つ以上の円墳があり、古墳時代後期(6世紀以降)のものと推定されます。
特に中心となる後志部古墳は前方後円墳で、全長約46m、後円部の径約30m、高さ約5m、前方部の幅約26m、高さ約5mであり良く保存され原形を伝えて美しい姿を残しています。(上三川町)
こんな感じで見ると前方後円墳ということが分かりますね。
この辺りにはほかにも古墳があります。
北の方に30分ほど歩くと、茂原愛宕塚古墳と大日塚古墳があります。
茂原愛宕塚古墳は前方後円墳です。
かわいい看板が見えたらもうすぐです。
堀に囲まれた敷地の中にありました。
ちょっとした説明もあります。
何か竹で組んだ小屋があります。
体験施設なのか地元の方の作業場なのか分かりませんでした。
ここから少し北に行くと金網の中に大日塚古墳です。
円墳ですね。
こちらは全方向金網に囲まれて保存されているようですね。
向かいに小さな祠が祀られていました。
遠方には雪を冠した男体山と白根山がよく見えます。
キジが歩いていました。
少し離れますが、笹塚古墳や琴平塚古墳群などもあります。
笹塚古墳はかなり大きな前方後円墳です。
こちらにも山頂に神社が祀られています。
そして、インターパークに来ると琴平塚古墳群です。
こちらは公園になっていますが、東山道が示してありました。
このインターロッキングの部分が東山道の跡なんだそうです。
そして、この続きがインターパークの南にあるジョイフル本田脇にありました。
こちらの歩道にあるインターロッキングの道が東山道だそうです。
でも、何の記載もありませんでした???
今回も東山道を見つけて歩くことができました。
古墳時代の古墳の分布と奈良から平安時代の官衙の分布が東山道に沿っているのには結構驚きでした。
場所はここです。
最後の赤い線は車の移動です。
時計を止めるの忘れました。