御念仏を記録に残す:その2

宇都宮市今泉地域に残る御念仏について

① 南無阿弥陀仏 ② じゅうぞう念仏はその1を参考にしてください。

  御念仏についてその1

 ここでは、十三仏とくろだに(黒谷和讃)について紹介します。

③ 十三仏
 十三仏は江戸時代になって日本で考えられたものだそうです。冥界への審理に携わる13の仏(仏陀と菩薩)のことで、初七日から三十三回忌のそれぞれを司る仏様としても知られています。十三仏はお線香を十三本用意して、先導と一緒に十三回唱えます。先導は一回唱えるごとにお線香を共していきます。
 
十三仏
  お助け給えや 十三仏
  不動(ふどう)明王 釈迦(しゃか)如来 文殊(もんじゅ)菩薩 普賢(ふげん)菩薩
  地蔵(じぞう)菩薩 弥勒(みろく)菩薩 薬師(やくし)如来 観音(かんのん)菩薩
  勢至(せいし)菩薩 阿弥陀(あみだ)如来 阿閦(あしゅく)如来 大日(だいにち)如来
  虚空蔵(こくう王)菩薩 さま 南無阿弥陀 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀
 
  *十三の仏様はひらがなでしめしたところだけ唱えます。
 ④ くろだに(黒谷和讃)
 くろだには小さい頃わけもなくも唱えていました。しかし頭の中にその歌詞がずっと残っています。今回いろいろ調べてみて生命の儚さと死んで極楽浄土へ行くことへの弔いの気持ちが現れているのだと感じました。
 調べてみると、黒谷和讃としていくつかの記載がありました。昔はレコードもあったようです。ここ宇都宮市今泉で唄われてきたものは、他ものと比べると歌詞付け加えて唄われているようです。
黒谷和讃(くろだにわさん)(今泉地域)
帰命頂礼釈(きみょうちょうらい)黒谷(くろだに)の 円光大師の教えには
人間わずか五十年
花にたとえて朝顔の 露(つゆ)よりもろき身をもちて
何故(なぜ)に後生(ごしょう)を願うべし
たとえ浮世に永らえて 楽しむ心に暮らすとも
老いも若きも妻も子も 後(おく)れ先立つ世のならい
花も紅葉(もみじ)もひとさかり (思えばわれらもひとさかり)
円光大師の教えには 五百八十四年先
みねより落ちる滝の水
結び止めたる人あれど 命は結び止められぬ
つゆの命の有るうちに 念佛後生(ごしょう)を願うべし
二十(はたち)身空の人々も 今宵(こんや)枕(まくら)をかたむけて
ただちに頓死(とんし)するもあり
今朝(けさ)に笑いし幼子(おさなご)も 暮(くれ)に煙(けむり)となるもあり
今日は他人の葬礼(そうれい)を 送りて我が身も明日はまた
ただしとりいのがくとなり 死すればすぐに野辺(のべ)支度(じたく)
六道(ろくどう)涅槃(ねはん)の道に入り 野辺(のべ)の送りとなる時は
組(くみ)親類(しんるい)があつまりて 野辺まで先立つ人あれど
野辺より先は唯(ただ)一人
恋(こい)しき娑婆(しゃば)をあとに見て 急がぬ冥土(めいど)が近くなる
糸より細(ほそ)きあの道を 泣く泣くたどる悲(かな)しさよ
すそはいばらで引き裂(さ)かれ 袖(そで)は涙(なみだ)にぬれしぼる
一百三十六(いっぴゃくさんじゅうろく)地獄(じごく) 泣く泣くぬ(め)ぐる悲(かな)しさよ
死出(しで)の山路(やまじ)にのぼりては 再び逢う人さらになし
きくもおそろし水の音
あれが三途(さんず)の川なるや 渡してくれる人はなし
そのとき誰(だれ)をかたのむべし 娑婆(しゃば)で唱(とな)えし念佛(ねんぶつ)を
六(ろく)字(じ)名号(みょうごう)明らかに 南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)と唱(との)うれば
その時大師(だいし)あらわれて 苦節(くせつ)の船にのせられる
はた天蓋(てんがい)をさしかけて 弥陀(みだ)の浄土(じょうど)にすくい取る
あ々ありがたや南無大師
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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 このような御念仏を大きな数珠(菩提寺から借りてきます。)を回しながら唱えるのが、宇都宮の真言宗で行われています。今回は「十三仏」と「くろだに」を掲載しました。

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