この辺りの神社は一つ一つの距離が離れています。
歩くとかなり時間がかかりそうなので自転車で巡りました。
晴れていて風がなかったので気持ちよく回れました。
峰地区には鶏峯神社があります。
陽東地区には雷神社と三日月神社です。
さらに、平石の南地区に八幡神社、高龗神社、八坂神社がありました。
鶏峰(けいほう)神社
最初は鶏峰神社です。
宇都宮大学峰地区の北側の森の中にひっそりとありました。
村社鶏峯神社と書いてあります。
明治時代に神社の社格が決められましたが、その一つに村社があります。
一地方の氏神として仰がれる社を村社とした。と書いてあります。
地域の氏神様なんですね。
主祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)と倉稲魂命となっています。
この辺りは峰町と呼ばれています。
どちらが先か分かりませんが、峰が共通しているんですね。
また、ここの北東に伏明神が祀られています。
こちらはここ独自のお社のようです。
八坂神社
次は平出の南部にある八坂神社です。旧柳田街道から北に入ったところです。
八坂神社は全国一多い神社ですね。
そこへ向かう手前に小さなお社がありました。
馬力神などの石碑もあります。
お堂の中には仏像がありました。
神社のお社でなくお堂なんですかね。
仏・拝・神 光の田 の張り紙があります。
こちらのすぐ北にあるのが八幡神社です。
公民館が併設してある地域の神社ですね
屋根付きの十九夜塔がありました。
中央には三つのお社が合祀されていますが、両側のお社には何も書いてありませんでした。
末社や石仏も祀ってあります。
高霞神社
次は石井の鬼怒橋の西にある高霞神社です。
その手前に勝善神が道端にありました。
ひっそりとして、何も文字が分かりませんでした。
鬼怒川の石井大橋のすぐ西に、村社 高霞神社です。
サッシの神社は珍しいのかな。
拝殿には高尾神社とあります。
高霞が高尾に変わったところはたくさんあるようですね。
八坂神社
次は南に行って田んぼの中の八坂神社です。
公民館が併設してあります。
こちらは、きれいに掃除がされています。
雑草など一本もない感じでした。
拝殿は透明なガラス張り。
こちらもめずらしいですね。
脇には大きな十九夜塔です。
屋根が設置してあるのも珍しいですね。
二十三夜塔の文字が見えます。
千手観音のような石仏や小さなお社もありました。
石仏群
ここから三日月神社に向かう途中に石仏群と書いてある場所がありました。
畑の中に家の壁に沿って石仏が並んでいます。
石仏といっても、小さなお社と馬頭神十三夜塔などでした。
石仏というよりは石塔といった感じですかね。
馬頭観音の石碑は石仏なのかどうかの判断が難しいところですね。
十王堂
こちらは十王堂です。
十王とは、道教や仏教で地獄において亡者の審判を行う10尊の裁判官的な尊格とされています。
十王を祀ってあるお堂があります。石井の十王堂はその人るなんですね。
内部には十王がいます。
中央のこの写真は閻魔王でしょうか。
閻魔王とはお地蔵様(地蔵菩薩)なんですね。
小さいころ親戚の家のお葬式などに集まって唱えていた十王念仏はまさにこのことなんですね。
さらに歩くと番外ですが、對雪樓先生の碑と大砲発射之碑がありました。
對雪樓先生の碑に関しての資料は全くありません。
大砲発射之碑については、
宇都宮藩の砲術士 加藤義重が石井町のこの地で大砲の発射訓練をして36町「約4キロメートル」の距離まで砲弾が飛んだことを記念して建てられたものです。
こんな記載が見つかりました。
左の写真が 對雪樓先生の碑 で右の写真の右の石碑が大砲発射之碑です。
大砲発射之碑の右に勝膳神の石碑がありました。
三日月神社
この碑のちょっと西の路地を入ると三日月神社があります。
三日月信仰の神社なのでしょうか。
三日月を祀る三日月信仰は北関東の茨城県と栃木県に見られるとのことです。
三日月神社の基壇部となっている古墳は,三日月神社古墳と呼ばれています。
帆立貝式前方後円墳とされています。
その前方部は既に消滅しており,直径約23mの円墳のような姿で後円部だけが残されているとのこと。
雷神社
三日月神社から北の方に向かうと雷(らい)神社です。
全国各地に存在します。雷電神社、電神社などがあります。
雷(いかづち)の神が主祀神のようです。
拝殿の中に雷様の絵が祀られていました。
奥の方には、末社もあります。
今回は峰・陽東方面を回りましたが、神社だけでなくいくつかの石碑や石仏もあり勉強になりました。
十王堂があったのは驚きでした。
昔の十王念仏とつながったのは驚きでした。